抽象作家 後藤 了子

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後藤了子の作品は、個人的な記憶と静かな観察から生まれます。
ニューヨークを中心とした抽象表現主義と日本的な美意識に影響を受け、墨、油彩、金箔などの素材を用いて、感覚をカタチにすることを試みています。
彼女の作品は、説明することよりも見る人の内側に静かに響く空間を作り出すことを大切にしています。


後藤了子の作品は、個人的な記憶と静かな観察から生まれます。

 

幼い頃の彼女は自分が選ぶ前に、他人が差し出したものをそのまま受け入れることがよくありました。その傾向は大人になってからも続き、時に自分の好みや感覚と繋がるのは難しく感じられることもありました。

その後ニューヨークへと拠点を移したことで、それは少しずす薄れていきました。そこでは「あなたはどう思う?」と尋ねられる場面が多く、その問いをきっかけに内面に耳を傾けるようになり、自分の感受性とより深くつながり始めました。

これと並行した体験として、ニューヨークへ移住する随分前の18歳の時、彼女は日本でジャクソン・ポロックの作品に出会いました。この体験は長く心に残り、言葉にならない感情を、説明せずに受け止める手段として、抽象表現に自然と惹かれていくきっかけとなりました。

現在、彼女の作品は、自分の中で静かに共鳴しているものを、視覚的なカタチへと翻訳することに焦点を当てています。

 

彼女の作品は、個人的な経験から始まりながらも、より広く、普遍的なテーマへと開かれています。

すべてのものにはレイヤーがあると信じている彼女は、重さを含むテーマであっても、やわらかく扱い、異なる視点を提示します。
目に見えるものだけでなく、それに付随する感情や感覚、空気感にも意識を向けています。ニューヨークでの継続的な制作を通じて、後藤は抽象表現との対話をより深めてきました。

同時に、自分が「日本人であること」も意識するようになりました。
それは固定されたアイデンティティではなく、空間・かたち・時間に対する感覚に
静かに影響を与えるものとして、彼女の中に存在しています。

 

2020年、彼女は日本の禅庭を学び、思いがけない深い共鳴を経験しました。
まるで、自分の中に長く眠っていた何かが、静かに目を覚ましたかのようでした。

彼女は自分の禅の印象に確証は持っていませんが、禅に対しては、「ただそこにあること」「あるがままを示すこと」といった印象を持っています。
その感覚に直感的な一致を覚えた彼女は、今でもそれらが自身のプロセスを静かに形づくっているのではないかと感じています。

 

ニューヨークに移住する前、長年にわたり彼女は父の仕事に関連したお寺で年に一度の法要を手伝ってきました。そこはいつも、彼女にとって特別に心地よい場所でしたが、当時はその理由について深く考えることはありませんでした。ずっと後になって、その寺が禅系である曹洞宗に属していることを知り、それがずっと感じていた安心感を、静かに説明してくれるような発見となりました。

後藤は、テーマごとに直感的に素材と技法を選びます。
墨、紙、金箔、油絵具など、彼女が使う素材は、象徴性のためではなく、
質感、重み、そして手で触れたときの反応によって選ばれています。

彼女にとって素材は比喩ではなく、「制作という行為における共同制作者」として存在しています。

後藤にとって、抽象表現は答えを与えるものではありません。
決まった解釈を避け、開かれたままの空間と個人的な受け取り方を大切にしています。

彼女にとってアートとは、
「そこに足を踏み入れた人が、そのままの自分でいられる空間」なのです。


「芸術とは、高尚な遊び」

これは彼女が予備校に通っていた頃、恩師が語った言葉です。
当時の彼女は、それを“なんとなく”理解したつもりになっていました。
でも今は、それが時の流れと経験によってゆっくりと変化し、深まり続けていることを感じています。