抽象画家 後藤 了子

信念

NYの50年代の ニューヨークスクール

日々生活している中で心を強く動かされたものを作品のテーマにし、マテリアルに縛られると対象物から感じた自分の中の印象がぼやけるとの考えから「(マテリアルに縛りを設けず)対象物に合うと感じるマテリアルを使って感じたまま作る」を信条にしている。全作品を通した大きなテーマは未だに模索中。自分も人間で、見る人も人間で同じ動物。だから自分が強く心動かされたものは誰かの心も動かす、と信じている。この考えから自分の個人的な体験から抽象的な感覚を抽出、時にはその体験に関するシンボル(形)を融合させるということをベースに制作をしている。

 

50年代のNYの抽象表現に影響を受け、18歳の頃から抽象表現を模索している。コロナ禍で京都にある美大のオンライン授業で禅庭のことを知る。禅庭の抽象表現がかなり完成されたものだと感じ、これは日本人である自分が求める抽象表現なのではないかと気づく。現在はそんなことを考えながら日本人の宗教観にマッチしているとも考えられる日本画の技法も作品に取り入れながら模索、制作している。

 

 

何に影響受けている?

NYの50年代の ニューヨークスクール(abstract expressionismの活動グループの一つ)に大きな影響を受けている。18歳でニューヨークスクールにフォーカスした展示を見て抽象表現に目覚める。ドローイングは19歳で見た麻生三郎のデッサン展から大きく影響を受けている。

 

なぜNYに移住?

NYの多くの壁は美しく汚れている。私がニューヨークスクールの作家たちはその壁によって無意識にセンスを磨かれていたのではないかと思い、自分もその感覚を極めていきたいという思いに駆られN Yに移住することに決めた。

 

なぜ作っているものが抽象的?

生まれ育った日本では多くの人が宗教を持たない特殊な国だ。しかし生活の中に仏教と神道が紛れている。私が生まれ育った東京には伝統文化は多く残っている訳ではないが、それでも新年には神社に行き家族の健康を願い、人が亡くなると仏教スタイルのお墓に入り、命日には残された人はお墓に手を合わせに行く。祖父母、両親、親戚から物には心があるから大事にするように育てられた。自分は特別スピリチュアルなものを信じている訳ではないが、それでも目に見えない気配を感じるような環境で生まれ育った。その私の感覚にabstract expressionismは合っている。